そういうことです、

まあ まぁまぁ。

着地の後、

よく散見する、

「安部はヤメロ 安部政治を許さない、九条を守れ 暴走を止めろ」うんぬん。

個人の主義主張が守られている国では大いに結構なことだと思います。

 いい国です!(^^)!  ただ、こと政治の決定プロセスに芸術、音楽関係の者が言及するとき、ちょっと注意が必要です、 

 芸術 音楽などは、人間の感性や感覚に訴えるものが大きいです。そういうものを扱っている人が、リアリズムの世界に言及すると、おかしなことが起こります。 

 なんとなくいい なんとなくきらい あのアーティストが言ってるから私もそう思う など、 

 実際の政治や外交、経済(これは実はなんとなくの部分を含んでいるが、)で感性や感覚で意思決定をしてしまうことが、感性や感覚の暴走ではなかろうか、そういう事にミュージックを使うのは本当に許せない。

 

 知らないから わからないから 調べて聞いて読んで考えて咀嚼して、異なる視点から精査して、ロジックを構築し、そして無知の知を知りてまた知識の欲求を満たしていく、

 

  そんなプロセスが重要です、 てかそう思います、私は。

 

ここではっきり言える事を一つだけ、

 

「平和とは 戦争と戦争の間の時期であって、過去に戦争があったから平和を希求できる、それを願うのであればそれを奪うものと対峙し戦う必要がある、そうやって戦争は繰り返される。」

 

 永久の平和 まさに私もそれを望みます、 でも相手がいる以上こちらのワンサイドにはいきません、 だから対話をします、 それに失敗すれば我々の幸福追求権は蹂躙されかねません。外交と軍事力は密接です、軍事がなければモノ言えぬ発言者となります。  オオカミの群れに囲まれて 話し合いだ何だといってもそのうち喰われて終わります、 クマが襲ってきたら銃で射殺します。可愛そう という人もいます。

これね、 相手が人間ならなお厄介です。クマは打ち殺せるけど国家はミサイル打ってきます、人間の盾も使います。 さらに我々には守らなければならない人が沢山いるのです。 だから人間の不完全さを平和的手段で補うために力と手段が必要です。国家で言えば安全保障を担保するのは軍事と行使力です。

安部政権を倒しても暴走を止めてもいいでしょう、でもその代わりの受け皿は?

 

 この500年の人間の行動から見てください、 そのあとどうするのですか?

ここで個人攻撃したくないのですが、 日本共産党の志位委員長が党首討論でこう言ってました。

「世界と対話し、自衛隊がもう必要が無くなったとき、国民に問うて、最終的に自衛隊をなくす。」と。

それは泥棒も犯罪者もいなくなったら警察を解体する、という事でしょうね。

今の若い人にこの理屈は通じません、笑われて終わりです。

戦争を知らないからだ経験したことないからだ、という人も戦争を経験してません、

終戦の時20歳ならもう93歳です。 終戦時に1歳 2歳の人間にそんなこと言われても説得力ありません、 じゃあ歴史をいろんな方向から勉強検証した方がより良いと。

 

仰る事は素晴らしいが実現可能かどうか、ここをないがしろにしてしまって感覚で物いうのが芸術家です。でも芸術関係の人はそういう感性を持っているから人々に受け入れられ愛されているのだと。

 

日本歌謡曲のヒットチャートの歌詞 よく読んでみてください。いいですよね 感性に富んでいます。抽象的なものの言い回し、素晴らしいですね、でもこれで政治やられたら困ります。ありもしないできもしない あんなこといいなできたらいいなー あんな夢こんな夢いっぱいあるけど、

現実 この世界にまだ不思議なぽっけは開発されていません。22世紀までお待ちください。

どこに着地してどこに向かって舵を切り進めていくのか、行けるのか。

少なくとも選挙の時だけ旗色変えるような候補に感覚だけで投票するのはいかがなものかと。

 

キーワードが 安部を許さない 憲法を守れ  だけでは何も変わりませんという事が言いたい。

 

カイ・シデンの名言をお花畑の方々に送りたい。

 

「悲しいけど コレ 戦争なのよね。」